現代は土日祝が多いけど…昔の人はどのくらい休日があったの?律令制度で定めた假(け/か)を紹介

いきなりですが、みなさんの仕事は週休何日ですか?

会社員であれば土日祝休みのところや、シフト制で不定のところ、あるいはフリーランスや自営業でほぼ年中無休なんて方もいらっしゃるでしょう。

筆者は子供時代に土曜日隔週休みが導入されはじめ、じわじわと週休2日体制へと移行する時期だったことを記憶しています。

ところで、昔の人たちはどのくらいの休みをとっていたのでしょうか。職業や立場によって様々なのは当然ながら、ある程度の基準を設けていたようです。

そこで今回は、律令制度で定められた假(け/か)を紹介。現代と比べて、どんな感じだったのでしょうね。

多い?少ない?律令制度の假あれこれ

假のシステムは中国大陸から取り入れたと言われ、漢王朝~南北朝時代(紀元前3世紀~紀元6世紀)は5日に1日、唐王朝以降(7世紀~)は10日に1日が休みとされたと言います。

対して日本の假は6日に1日とされ、毎月6日・12日・18日・24日・30日(太陰暦は必ず30日/月なので末日)が休み、つまり官公庁が閉庁となりました。現代の感覚だと、週休1日といったところでしょうか。

この基本的な休みを常假(じょうか)と呼び、基本的に全員休みとなります。ただし施設警固のため宿直(とのい)の番に当たった者は出勤し、その代休は与えられません。そのため、宿直のシフトにもよりますが実際の休日は月に3~5日と考えられます。

しかし皇室にお仕えする宮内省(くないしょう)や政治の中枢を司る中務省(なかつかさしょう)、宮中の警固に当たる五衛府(ごえふ。衛門府、左・右衛士府、左・右兵衛府)など、無人になったら困ってしまう部署はどうするのでしょうか。

そうした部署の官吏については、別假(べっか)という特別休暇が事前申請によって毎月5日分まで認められました。

他に京都在勤の官人には、農繁期(春の田植えや秋の収穫)に際して与えられる田假(でんか。春期に15日間、2交代制)や授衣假(じゅえか。冬服の準備を名目に、春と同様に与えられる)があります。

また帰省のために3年に1回30日間の休暇が与えられる定省假(じょうせいか。父母が畿内より遠くに住んでいる者のみ)や、女官については月に3日間の淋假(りんか。生理休暇)が設定されました。

これ以外には親などが亡くなった時の喪假(もか。忌引き)、特段の事情(私用)を認めて与えられる私假(しか)があったと言います。

ちなみに、元日は宮中で祭礼が執り行われるため、総員必ず出勤日に。現代の感覚だと、ちょっとだるいですね。

3ページ目 まとめ・律令制度による假の一覧

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