現在の東京には首都機能が集中していますが、実は第2次世界大戦末期、首都機能を長野県の松代に移す計画がありました。
1944年7月、太平洋戦争でサイパンが陥落したことで、日本の本土決戦の可能性がでてきました。同月の東條内閣最後の閣議で皇居とそのほかの首都機能を松代に移転し、「松代大本営」を建設する工事を進めることが承認されました。
その後、国民に極秘で工事は進められ、最盛期には10000人ほどが作業に従事したといわれています。当時は、舞鶴山(まいづるやま)を中心として、皆神山(みなかみやま)、象山(ぞうざん)に碁盤の目のように掘り抜かれ、地下40m,総延長13kmに及ぶ地下構造物完成を目指していたそうです。
結局、1945年8月の敗戦を機に計画は中止になりました。