乱痴気騒ぎがすぎる!権力にモノ言わせ、敦康親王をひんむいた藤原道長の「善行」とは?

弱者を救うのは高貴なる者の務め……そんな考えから施し(寄付)をする者は少なくありません。

実に結構なことですが、ときどき他人に寄付を強制する方もいて、それはいかがなものかと思ってしまいます。

今回はやんごとなき平安貴族の中でも強引さでひときわ輝きを放つ藤原道長(ふじわらの みちなが)ご一行様のエピソードを紹介。

果たして彼は何を寄付して、誰に何を寄付させるのでしょうか。

親王殿下の御召し物を……

時は長和3年(1014年)10月。道長が宇治へ遊覧に出た際、近隣の遊女(あそびめ)たちが多数群がってきます。

当時の遊女は、性を売り物にする中世以降の遊女(ゆうじょ)や娼婦と異なり、歌舞音曲や和歌などの芸能をもって座興を添える職業でした(中世以降の遊女や娼婦が悪い訳ではなく、単に違いがあるという話です)。

せっかく遊びに出たのだから、ケチケチしても始まりません。何でも派手好きな道長ですから、大いに遊女らを侍らせてチップも弾んだことでしょう。

「いやぁ愉快々々……そうだ!」

道長は悪だくm……もとい面白いことを思いつきます。そばにいた敦康親王(あつやすしんのう。一条天皇の皇子)の肩をつかむと着ていた衣をひんむいてしまいます。

「あぁっ、何を!」

「ほれ。親王殿下からの賜り物じゃ」

何と、道長は敦康親王からひんむいた衣を勝手に遊女の一人へあげてしまったのです。

2ページ目 男女もお構いなしで衣をひんむく始末…

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