神社に放火!法皇を幽閉!やりたい放題した平清盛は呪われて死亡した?

山内琉夢

悪行を積み重ねた結果、呪い殺されたともいわれている平清盛(たいらのきよもり)。今回は、清盛が呪われていると噂されることになった原因にスポットを当て、紹介したいと思います。

平清盛とは

平清盛とは、歴史上初めて朝廷の最高責任者である「太政大臣」に任命され、日本初の武家政権を確立させた人物です。武将であり政治家でもあった清盛は、「公家から武家へ」政権の移り変わりにも尽力しています。

平清盛が行った悪事

法皇の幽閉
清盛は「鹿ケ谷の陰謀」で自身の失脚を図ったあと、白河法皇を幽閉したというのが通説です。ただ、諸説あるため真実は定かではありませんが、清盛と後白河法皇の仲は悪かったと言われています。

殺さなかったのは、朝廷全体を敵に回したくないと言った思惑があったからではないでしょうか。

南都焼き討ち
南都焼き討ちは、清盛率いる平氏軍が「東大寺・興福寺」など、奈良の仏教寺院を焼討にした事件のことです。

当時の寺社は大きな政治的権力を保持していたため、平氏政権に反抗的な態度をとる寺社を見せしめとして、いくつか燃やしてまわりました。

2ページ目 平清盛の死因は呪いだった説

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