お茶にまつわる名エピソード
石田三成(いしだ・みつなり)のことは皆さんご存じですね。歴史に詳しくない人でも、名前を見聞きしたことはあるでしょう。
この人は「堅物」として有名ですが、実は人間味あふれるエピソードも数多くあり、大変人気が高いです。
彼の人となりが窺える逸話として有名なものに、大谷吉継とのエピソードがあります。
吉継は、三成と同様に豊臣秀吉の家臣だった人物です。白い頭巾を被った肖像画が有名ですが、彼はらい病(ハンセン病)を患っていたといわれています。らい病は主に皮膚と神経がらい菌に侵される病気です。
ある日、三成や義継などの大名たちが、大阪城で行われる茶会に招かれました。
茶会は当時大名たちの嗜みであり、またその場では、戦の恩賞の代わりに茶器が与えられることもありました。
そのお茶会で、義継の顔から瘡蓋が剥がれて、膿が茶碗に入ってしまったのです。
当時、らい病は恐ろしい不治の病であるとか、感染力がとても強い病気であるという誤った認識がありました。よって、義継の後に順番が回ってきた大名たちは、飲むフリだけをして決してお茶に口をつけようとしません。
ところが、なんと三成はそのお茶を一気に飲み干したのです。
そして「喉が渇き、すべて飲んでしまった。美味しかったのでもう一杯いただきたい」と言います。その三成の豪胆さや優しさに感銘を受けた義継は、三成を支える一生の盟友となりました。
お茶といえば、のちの主君である豊臣秀吉との出会いにも「三献の茶」という逸話があります。
三成が寺付きの小姓だったころ、鷹狩りの帰りに寺を訪れた秀吉に対して、彼は三杯のお茶を用意しました。
一杯目は、飲みやすいようぬるめの温度で茶碗にたっぷり入れたものを。続く二杯目は、一杯目よりも少なめでお茶の味が感じられるものを。そして三杯目は、うんと少なく濃く淹れることで味を楽しめるようにしたのです。
このことからも、三成が細やかな気遣いの持ち主であることが伺えますね。