令和4年(2022年)大河ドラマ「鎌倉殿の13人」……早くも第10回。毎週楽しみに観ているせいか、本当に早いですね。
さて、富士川の合戦(治承4・1180年10月20日)で幸運にも平家の追討軍を撃退できた源頼朝(演:大泉洋)たち。本当は一気に上洛して父の仇である平家政権を滅ぼしたいところですが、どうやら御家人たちは乗り気でない模様。
飢饉で兵糧が足りないとか、8月の挙兵以来ずっと戦い通しで疲れているとか……更には
上総介広常「……常陸の佐竹だ。昔から折り合いが悪くてな。俺がいないのをいいことに、また兵を出してきた……」
など、御家人たちの不在を狙う者たちも現れます。そこで第10回「根拠なき自信」では佐竹(さたけ)征伐に向かうのですが……。
そこで今回は『吾妻鏡』から、佐竹征伐についてざっくり紹介。大河ドラマの予習になればと思います。
話せば解る、と思ったが……
時は治承4年(1180年)11月4日、頼朝は常陸国府(現:茨城県石岡市)まで軍勢を進めました。
佐竹氏はその権威を国外にまで及ぼし、国内で従わぬ者はいないほどの勢力を誇っている様子。
そこへ真っ向からぶつかるのは得策ではない……頼朝が御家人たちと軍議した結果、上総介広常(演:佐藤浩市)が伝手のある佐竹太郎義政(たろうよしまさ)と話をつけることに。
すると意外にも、義政は頼朝に恭順する意思を示します。
「もともと同じ源氏ですし、同族で争うより力を合わせましょう」
なぁんだ話せば解るじゃないか……と思っていたところ、義政の弟(甥との説も)である佐竹小四郎秀義(こしろうひでよし)が強硬に反対。
「都には父・佐竹四郎隆義(しろうたかよし)が平家に仕えている。ここで佐殿に味方しては、父の身が危くなるではないか!」
兵をまとめて金砂城(現:茨城県太田市)に籠もってしまった秀義をどうしたものか相談するべく、広常は義政を大矢橋(同市)に誘い出します。
広常「よぅ太郎。サシで話そうじゃねぇか」
義政「……うむ」
お互いの郎党は橋のたもとに残し、橋の中央で向き合った二人ですが、広常は義政を殺してしまいました。
……義政者(は)廣常の誘引に依て大矢橋邊于(おおやばしのへに)參ずる之間、武衛件(くだん)の家人(けにん)等於(どもを)外に退かせ、其の主(そのあるじ。義政)一人於(を)橋の中央に招き廣常之(これ)を誅(ちゅう)令(せし)む。太(はなは)だ速(すみやか)也。
※『吾妻鏡』治承4年(1180年)11月4日条
【意訳】広常に誘われた義政が、大矢橋の辺りにやってくる。頼朝は互いの家来たちを下がらせ、橋の中央に義政と広常だけが残ったところ、すかさず義政を討たせた。
……文中の「誅」とは罰として殺すニュアンスがあり、頼朝は呼び出した時点で義政を殺すつもりだったようです。
その動機は不確かながら、おそらく「(戦わずに済むと)ぬか喜びさせやがって、この役立たずめ死ね!」程度の腹いせあるいは景気づけと考えられます。
人質にとってもよさそうなものですが、そんな器用なことは思いつかなかったのでしょう。