呼び名もバリエーションも無限大!名物おやつ「今川焼」の歴史と展開

「今川焼」「大判焼き」「回転焼き」の由来は?

皆さんは「今川焼」は好きですか? 私は大好きです。

今回は、日本全国で愛されているにもかかわらず、地域によって名前が全く違うという不思議なお菓子・「今川焼」の歴史をたどってみましょう。

呼び名については、「今川焼」がしっくりくる人、「大判焼き」が聞き慣れている人、「回転焼き」が身近な人などさまざまでしょう。東北だと「あじまん」という商品名ですっかり浸透している地域もあるようです。

ちなみに私は、回転焼きが1番身近な呼び方でした。そして今川焼と回転焼きが同じものであると知ったのも高校生くらいです。

さて、「今川焼」の発祥は、現在の東京都千代田区の今川橋付近に、江戸時代にあったお店だと言われています。その店は安永年間(1772年~1780年)に存在し、当時のその付近の地名が今川だったため、お菓子の名前が「今川焼」となったそうです。

「大判焼き」の由来は、愛媛県の松山酸という人が「大判焼き」という呼び名で発売したのが始まりです。

また、あんこがたくさん入っている大型サイズの大判が「景気が良い」と喜ばれて大ヒットし、四国・中国地方から全国に広まっていったとされています。

私が1番身近に感じている「回転焼き」と言う呼び名は、丸型が並んでいる円形の焼き板を回転させながら作ったことが由来だとされています。

3ページ目 ぼくのわたしの今川焼、そして世界へ…

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了