トンガの海底火山噴火で、そのエネルギーに驚いた方も多いのではないでしょうか。
最近ではそれに呼応するように、富士山噴火や南海トラフの大地震によるシュミレーションなどが公開され、災害への危機意識を喚起する報道が多い気がします。
想像したくもないですが、仮に富士山が噴火すると、100キロ離れた東京駅でも10センチの降灰が予想されライフラインはマヒするとか。過去に起きた日本の火山の大噴火を調べてみると、なんと江戸時代 天明3年(1783)の浅間山大噴火が欧州にまで影響を及ぼし、ひいてはフランス革命にも少なからず影響していたという驚きの記述がありました。
天明の浅間山大噴火
浅間山は天明三年(1783年)旧暦四月から噴火を繰り返し、断続的に四カ月続きました。
そして7月26日に大噴火が起こり、8月5日頃まで続きます。
特に 8月3日から4日にかけて激しく爆発し、南麓にある沓掛(現在の中軽井沢)や追分宿では、空振によって戸障子が外れるほどの振動が起きたといいます。
火山灰や軽石の降下も激しく、軽井沢宿では約1.2mの軽石が積もり、家屋がつぶれたり火石による火災の被害が出ました。
北麓では8月4日に吾妻火砕流、5日には鎌原火砕流が発生。後者は鎌原村を埋没させて吾妻川の谷に流れ込み、決壊して流域に大きな被害を及ぼします。
鎌原村の住民は 597人中466人が死亡。今は存在しない観音堂という高台に駆け登った者が助かったそうです。昭和54年の発掘調査で、観音堂の石段の下を掘り返すと若い女性が高齢女性を背負っていたと思われる二体の遺骨が出てきて、あと僅か石段を上れば助かったはず…と関係者の涙を誘ったとか。
鎌原火砕流に引き続いて鬼押出溶岩流が流出し、噴火活動は終了します。現在は「鬼押出園」という観光地として、溶岩台地を直接歩くことができます。名前は、火口で鬼が暴れて岩を押し出したという人々の印象から名付けられました。