姫の亡骸は見つからず…東京・足立区に伝わる悲劇のお姫様「足立姫」の物語

雲川ゆず

日本には色々な伝説が残っていますが、東京・足立区にも美しいお姫様の伝説が残っているということをご存じですか?

この伝説、時代はだいぶ遡りますが現代まで残っていることには所以があり、そこには悲劇が隠されていました。

そこで、今回の記事ではそんな「足立姫」の伝説についてご紹介したいと思います。

悲劇の女性!足立姫の背景とは?

時代は遥か昔の奈良時代、聖武天皇の時代。武蔵国足立軍に、足立之荘司宮城宰相という足立の長者がいました。

彼は多くの富を持っていましたが、妻とのあいだになかなか子どもを授かることができませんでした。

彼は妻とともに熊野権現に参詣し、その後妻が身ごもりとても美しい女の子が生まれました。彼女は「足立姫」と名付けられ、大切に育てられました。

足立姫の悲劇

足立姫が17歳になったとき、隣の豊島群の豊島左衛門清光という人物から、彼女を自分の妻としたいという話が持ち上がりました。

彼女は家同士のことを考えやむなく結婚しましたが、ここに悲劇が待っていました。彼女は、清光の母(姑)から強くあたられ、つらい日々を送っていました。

ようやく里帰りできることになったとき、事件は起こります。足立姫は川にたどり着いたとき、身を投げてしまったのです。

姫を追って12人の侍女も次々と入水。侍女たちの遺体は発見されましたが、姫の遺体はいつまでも見つからなかったと言います。

悲劇の続き

姫の悲劇のあと、父は諸国の霊場参りに出ました。熊野権現からの夢のお告げに霊木を授かり、海中に投げ入れると不思議と霊木は彼の故郷にたどり着きました。

そして、諸国行脚中の行基に頼み、その気に阿弥陀仏を彫刻してもらいました。

2ページ目 伝説をきっかけに流行したもの

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