縄文時代はなんと一万年以上もあった!(4)前期・物々交換が始まり集落にはストーンサークル?

風信子

前回は世界的な温暖化により日本列島がほぼ形成され、定住化により狩猟・漁労が活発化されたこと、初歩的農業が確立されたこと、他に鬼界カルデラの大爆発などについてご紹介しました。

今回は縄文時代(草創期・早期・前期・中期・晩期)の前期についてご紹介します。

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縄文時代・前期(紀元前5,000年~紀元前3,000年頃)

植物帯としては亜熱帯性の常緑広葉樹林や、乾季に適した落葉広葉樹林から構成される植形成され、温かい海や山は豊富な実り・生き物たちを育み、人々が食物を得るため、食べるための石器や骨角器の数や種類が増え多様化しはじめます。

植林農法の種類もドングリやクルミより食べやすいクリに変わり、大規模化していきます。

そして湖や沼が成形され、これをきっかけにさらに採集・漁猟活動がさらに活発化しました。
丸木舟が作られるようになり、海へ進出して石器でオモリをつけた網を使った漁などが行われるようになります。サメやクジラなどを漁獲することもありました。

集団村落間における物々交換が始まる

 

青森県青森市の「三内丸山遺跡」で、約紀元前3,500年頃の翡翠が発見されていますが、翡翠はミャンマーと新潟県の糸魚川からしか産出されません。

新潟県の糸魚川市には約紀元前3,500年頃から1,000年ほど営まれていた北陸最大級の集落「長者ケ原遺跡」があり、特に石斧と翡翠の玉類の制作と流通の拠点として栄えました。

この事実を照らし合わせると、この時代には地続きもしくは海運によって、翡翠が遠い他の集落へ伝わっていたことを示しています。

 

また耳飾り(ピアス状のものも含む)や、勾玉、管玉をつかった首飾りやブレスレットなどが作られるようになりました。

医療が未発達のこの時代に、耳に穴を開けるという行為はとてもリスクの高いことですが、これは祈祷師的な行為をしていた人物等が付けていたのではないかと考えられます。

 

 

土器はこの期を境にさまざまな地域でいろいろな種類の土器が作られるようになります。例えば北東北を中心に北海道南部では底が平らな細長いバケツのような形の“平底土器”が作られるようになり、これは地層の下で発見されたため“円筒下層土器”と呼ばれています。それから平底土器が一般的になり中期頃まで作られます。

塩が作られる

そして紀元前3,500年頃より現在の霞ヶ浦周辺で、“土器を用いた製塩”が行われるようになったと言われています。

霞ヶ浦沿岸の「広畑貝塚」「法堂遺跡」などで塩を作るための専用土器(製塩土器)の破片などが発見されており、霞ケ浦周辺は、日本で最も古い塩づくりが確認できる地域と考えられています。

何故、人々が塩を作るようになったのかということについては、決定的な原因は分かっていません。食べ物の範囲が広がり、植物を食するのに塩を欲求したなどという説もありますが、これも決め手としては不十分です。
さらに人々の食用を目的としたものではなく、交易のためのものとして作られたのではないかという説もあります。

2ページ目 大規模集落の誕生、環状集石(ストーンサークル)

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