「管領(かんれい)」として頭角を現した細川
皆さんは、山科けいすけの作品『SENGOKU』はご存じでしょうか。戦国時代の武将たちが大活躍(?)する四コマ漫画で、私は「戦国時代の細川氏」と言えば、あの漫画に登場していた細川藤孝を思い出します。
今回はその細川の血筋について書いてみようと思います。そのためにはまず、足利尊氏が設けた「管領」という役職について説明する必要があります。
室町幕府が成立したばかりの頃は、まだ南北朝の争いが続いていました。その支配力も不安定で、トップたる足利尊氏も、その影響力を保つためには地域の有力な氏族と連携する必要がありました。
そもそも京都に幕府を開いたのも、自分自身が将軍であるという根拠づけのために天皇を奉じることが不可欠だったからです。これに加えて、有力氏族を足利市の味方につけて政権運営を安定させるためには、彼らに官位や役職を与えて懐柔しなければなりません。
それらの役職の中でも、有名なのが「管領(かんれい)」です。これは将軍の意向をそのときどきに伝達しつつ、時には軍事力でもって幕府の支配を安定させるための重要ポジションでした。
さてこの「管領」は、足利氏の一門である斯波・畠山・細川の三つの有力氏族が交代で務めることになりました。よってこの三家を「三管領」と呼ぶこともあります。
細川氏は室町幕府の基礎を築くことになる一族です。室町幕府に忠誠を誓った和氏・頼春兄弟が有名ですが、このうち頼春の子にあたる頼之が、のちに三代将軍義満を補佐したことで幕府の重鎮としての地位を固めました。