伊達政宗といえば、仙台藩の初代藩主として東北の繁栄を築いたことで知られています。現代でも「好きな戦国大名ランキング」に必ずトップランクに入るほど、男性にも女性にも人気の高い大名です。
乱世を駆け上がった猛将・粋な男などのイメージがある伊達政宗ですが、男色を好むことでも知られていました。当時、戦国大名の多くが武士のたしなみとして美少年を寵愛したことは有名で、さまざまな逸話が残されています。
伊達政宗には、愛する美少年・小姓に嫉妬したあまりに起こった騒動や、愛する家臣の「ある申し出」に感激し、抱擁し熱いキスをして感涙した……という逸話が残っています。そんな伊達政宗の男色事情をご紹介しましょう。
武士の男色
平安時代に始まり 戦国時代に花咲いたとも伝わる武士の「男色(なんしょく・だんしょく)」。男性同士の性愛を表すこの言葉は、中国から伝来し日本では、平安後期以降、貴族・仏家・武家社会などで流行りました。
【BLの歴史は古い】日本における男性同士の性愛「男色・衆道」の歴史を振り返る
江戸時代以前の男色は決して「快楽のため」だけではない?恒例の儀式や同志の契りを交わす意味も大きかった
一説によると、歴史に名を残している有名な武将の約9割は男色の心得があったとか。
男色を好んださまざまな武将の中から、今回ご紹介するのは「伊達政宗」です。
絢爛豪華を好んだ伊達物の武将
伊達政宗は、「もしあの信長や秀吉の時代に生まれていたら、日本の歴史は大きく変わっていただろう」……といわれるほど、高い評価をされている武将です。
伊達政宗は、1567(永禄10年)の8月、出羽国の大名「伊達輝宗」の嫡男として誕生。5歳の頃に罹った天然痘が原因で失明したとされていますが、学問に武芸にと精進し大名家の跡取りとして成長していきました。
18歳で家督を継いだ伊達政宗は、その後24歳で奥州を平定。さらに天下統一の野望を胸に抱き戦いに挑み続け、早熟の天才としてその名を轟かせることとなったのです。
絢爛豪華な生活を好んだといわれる政宗。
豊臣秀吉の「文禄の役」に従軍した際、政宗が率いる部隊の甲冑の見事さが、道中を見守る都の人びとの間で話題となり、以来、豪華でおしゃれな装いをする人のことを「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになったそうです。