号外の意味って?
令和の今でも、大きな出来事が起こると「号外」が配布されたりしますね。なぜ「号外」と呼ぶのか、不思議に思ったことがある人はいるでしょうか?
新聞の1面の欄外を見てください。右上に「第○○○○○号」と発刊の通し番号がふられています。しかし号外にはこの通し番号はふられないので、「号外」と呼ぶというわけです。
日本初の号外
号外の元祖と位置づけられる紙面は、江戸から明治にかけての1868年に出た、戊辰戦争を伝えるものとされています。
日本で最初の本格的な新聞とされる「中外新聞」が通常の紙面とは区別する意味から「別段中外新聞」として発刊したことが由来とか。
新選組で有名な隊士・原田左之助も参加したとされる、旧幕府側の有志部隊「彰義隊」。
この彰義隊が新政府軍が上野での戦いの末、敗れたことを伝えました。
中外新聞とは、1868年(慶応4)2月24日、柳河春三(やながわしゅんさん)が江戸で創刊した冊子型の新聞。日刊ではなく3、4日ごとの発行日のほか、『中外新聞外篇(がいへん)』23巻を出していましたが、官軍が江戸に入ると佐幕派の新聞に厳しい許可制を敷いたので、6月8日第45号で廃刊しました。
その後翌年一度復刊しましたが、柳川が70年2月に亡くなると、同月廃刊となりました。
上野戦争を報じた新聞は画像が手に入りませんでしたので、同じ冊子型の明治27年の東京朝日新聞の日清戦争の号外を紹介します。冊子なので、読み物という雰囲気がありますね。
ちなみに「号外」という呼称は、明治20年ごろ定着したとのことです。
参考:コトバンク、国立国会図書館、朝日学生新聞10月9日号