「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧たることも なしと思へば」
【意訳】この世界は私のために存在していると思っている。まるで満月が欠けることがないように……
平安時代、権勢の絶頂を極めたことで知られる藤原道長(ふじわらの みちなが)。
気に入らなければ天皇陛下さえも退位に追い込んだという道長は、まさに向かうところ敵なし。
憎まれっ子、世に憚る……そんな道長が、ボコボコにされたことがあると聞いたら、少し痛快に思えるでしょうか。
今回はそんなエピソードを紹介したいと思います。
か弱い女官が道長の胸倉を……
時は長保2年(1000年)、道長が療養していた姉の藤原詮子(せんし)を見舞いに行った時のこと。
「姉上、お加減はいかがでしょうか?」
「えぇ。今日は少し気分がよくて……」
今上陛下(第66代・一条天皇)の生母としてしばしば「国母専朝事(朝事=国政をほしいままに専横する)」などと批判され、道長ともども憎まれ役であった詮子でしたが、久しぶりに姉弟水入らずで、心安らかなひとときを過ごしていました。
「ギィエェ……っ!」
そんな中、静寂を劈(つんざ)く悲鳴と共に、傍で控えていた女官の一人・藤典侍(とうの ないしのすけ)が立ち上がると、いきなり道長の胸倉をつかみ上げます。