戦時中にはスパイ容疑も。アメリカの大富豪に見受けされた祇園の名妓「お雪」の波乱万丈な生涯

湯本泰隆

1903(明治36)年の日本といえば、ちょうど日露戦争を目前にして殺伐としていたときですが、そのような時期に日本に滞在していたジョージ・モルガンという人物が、祇園の名妓「お雪(芸妓名・雪香)」を10万円という、当時としては破格の金額で落籍し、人々の話題を集めました。

ジョージ・モルガンは、アメリカのモルガン財閥創始者の甥で、当時は恋人と別れた傷心旅行中だったとか。一方の雪香の本名は、加藤雪。幼い頃より胡弓の演奏に才能があったそうです。

当時、お雪には婚約までし、学資を貢いでいた京都帝大の学生がいましたが、そのことが新聞紙上に取り上げられて破局。一方、4年間に3度来日して熱烈なアタックをするモルガンに対して、とうとう結婚する決心をしたそうです。

こうして1904(明治37)年1月、2人は横浜で盛大な結婚式をあげました。

その後お雪は夫とともに渡米し、パリに移住。長年パリ社交界の花形として活躍したそうですが、1925(大正14)年、突然夫のモルガンが心臓麻痺で急に亡くなってしまいました。

3ページ目 スパイの嫌疑をかけられるお雪

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