2021年現在「世界男女平等ランキング」において、日本は対象国153カ国中なんと120位。もちろんG7(フランス、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ。世界でも裕福な自由民主主義国)の中ではダントツの最下位です。
因みに周辺国の韓国、中国ともに日本よりも10位以上上位にランキングされています。この日本の男女不平等感こそは男女平等に皆さんも肌で感じられていらっしゃるのではないでしょうか。
ところが、今よりももっと男女不平等が当たり前の江戸時代、大阪に一人の【女伊達】がいました。今回はその女性についてご紹介します。
「伊達(だて)」とは
伊達(だて)とは普通は「男伊達」というように男性を指して使う言葉でした。「男伊達」とは男の面目を保ち、“弱きを助け強きをくじく”というものであり「任侠」という言葉の本来の意味に通ずる言葉です。
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かくして、そのような気質をもった女性「女伊達」が大阪にいました。名を“お雪”といいます。
お雪の出生
お雪は享保12年(1727)浪速の豪商某の妾の子として生まれました。ほどなくお雪は島之内鰻谷、現在の大阪府大阪市中央区辺りの薬種屋を営む、これまた豪商の木津屋五兵衛の養女となります。
お雪の幼少の頃の姿を下記に引用させていただきます。
読み書きに優れ、箏や聞香にも通じ、雪のように色白で手足はすらりと長く伸びた美少女であったが、10歳の頃には習い事の合間を縫って柔の町道場に通う男勝り、背丈は5尺7寸というから173㎝の長身で、髪を結い簪(かんざし)を差すと鴨居を越して天井につくほどであったという(松井今朝子『奴の小万と呼ばれた女』より引用)
実際、お雪は大和郡山藩の家老で日本文人画の先駆者ともいわれる柳沢淇園に書画を学んでいました。
ただお雪は美少女であるにもかかわらず、身長173cmという背丈の高い大女というところが当時としては変わっていたのでしょう。現代ならばモデルなどという職業にむいている容姿なのでしょうが。
しかも江戸時代に少女が柔道を習うことを許されていたとは、きっと両親は困りながらもお雪を愛していたのでしょう。
その結果、お雪は世間の常識などにとらわれず、身長だけではなくその行動も型破りな女性として成長したのでした。