みなさんは、織田信長(おだのぶなが)と聞いてまず何を思い浮かべますか?たくさんの合戦や、楽市楽座、また彼の性格や悲劇的な本能寺の変でしょうか。
そんな織田信長ですが、実は刀好きとしても知られています。そこで、今回のこの記事では、そんな信長と彼の刀との関係について、詳しくご紹介したいと思います!
信長と刀
もう少しで天下統一、というところまで上り詰めた戦国武将・織田信長のもとには、あらゆる名器が集まったと言います。茶道具や絵画など、大規模に集めていったそうです。
そして、戦国武将らしいともいえますが、あらゆる刀も信長のもとにもたらされました。信長は無類の刀好きだったようで、約500本の刀コレクションがあったと言われています。
コレクションは、彼自身が長く持ち使っていたものや、自身の家臣にあげたりしたものもありました。織田信長自身は、馬の腕前に特に秀でており、本陣に座っているというタイプではなく、自分が先陣を切って飛び出していくタイプだったようです。
そんな武勇を尊んだ彼の頭のなかでは、常に戦略を考えていたり、武器研究にも余念がなかったのではないでしょうか。
信長が愛した名刀・へし切長谷部
信長が愛した名刀の中でも、最も有名なものをご紹介します。それは、へし切長谷部(へしきりはせべ)といい、彼の愛刀として有名で、鎌倉の名工「五郎入道正宗」の弟子の一人である「長谷部国重」が作りました。
「へし切」という名前には信長にまつわる逸話が残っています。それは、観内(かんない)という茶坊主に激怒し、手討ちにしようとしたところ、観内は逃げるために膳の下に隠れました。しかし、信長は膳の上から観内をへし切ってしまいました。
このことから、「へし切」という名がついたといわれています。