みなさんは、戦国時代の武将のなかで、お気に入りの人物や憧れの人物はいますか?今回は、柴田勝家(しばたかついえ)についてご紹介したいと思います。
名前は聞いたことがある方も多いかもしれませんが、彼がどんな人生を送り、どんな人物だったのか、というのはあまり知られていないかもしれません。ぜひ、この記事で柴田勝家のことをもっと深く知ってくださいね。
柴田勝家の人生
柴田勝家は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した戦国武将です。生まれは大永6年(1526年)とも7年(1527年)とも言われ、定かではありません。また、出自についても、柴田勝義の子どもと言われていますが、こちらも確実な史料は残っていません。
柴田家は、柴田勝家から有名になったため、それ以前のことがほとんどわかっていません。
若いころから織田家に仕え、織田信長の家督継承のころには、織田家の重鎮になっていました。なお、もともとは、織田信秀の後継者として信勝を推していたため、信長排除計画を立てていましたが、1556年に信長と戦った結果、敗北。その計画は失敗に終わりました。
その後は、織田信長に謝罪し、今後の忠誠を誓うことで許してもらったといいます。織田信勝は、再度信長を殺害しようとしますが、このころには柴田勝家は信勝を見限っていました。
そして、その不審な動きを信長に報告。そして、反対に、信長が信勝を暗殺する計画を立てます。これらのことから、柴田勝家は、信長から大きな信頼を得て、織田軍の先鋒として活躍しました。天正11年、この世を去りました。
柴田勝家ってどんな人?
柴田勝家は、子どものころから知恵があり、勇敢だったそうです(ちなみに、幼名は権六(ごんろく)と言いました)。織田信秀(織田信長の父)に才能を見出され、彼の居城で文武を学んだといいます。
これが、織田家との縁の始まりです。また、若いころから織田信秀から
領地をもらっていたため、このことから勝家の能力の高さもうかがえます。
いかがでしたか?今回は、柴田勝家についてご紹介しました。この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!