皆さんは何かに熱中するあまり、トイレを我慢したことはありますか?
「ほら、洩らしちゃうから早くトイレに行きなさい!」
「ちょうど今いいところなんだよ……あともう少し……うーん」
テレビだったらコマーシャルが入るまでとか、ゲームだったらセーブするまでとか、ちょうどよい区切りにならないと、なかなかトイレに立てない気持ちは、大人になっても変わらないもの。
「今ひらめいたこのアイディアを書き留めておかないと、トイレに流れてしまうかも知れない……!」
しかし、世の中にはトイレの事すらも忘れて物事に集中して取り組んだ結果、偉業を成し遂げた人物もいました。
今回はそんな一人、戦国時代の名軍師として知られた竹中半兵衛(たけなか はんべゑ。重治)のエピソードを紹介したいと思います。
我が子に施したスパルタ教育
竹中半兵衛は天文13年(1544年)9月11日、美濃国の戦国大名・斎藤道三(さいとう どうさん)の家臣・竹中重元(しげもと)の子として誕生しました。
13歳で初陣を飾って以来、数々の武功を立てますが、それは武力ではなく知略を駆使したもので、女性のように柔和な外見と相まって、同輩からは侮られていたようです。
「小手先の策で敵を惑わして、それで勝ちを拾ったとて、何の誉れと言うべきか」
しかし、半兵衛には「戦わずして勝つ」ことを最上とする信念があり、ひとたび兵法・軍略に向き合えば、尋常ならざる意欲で学び取ったと言います。
「百戦して百勝したとて、有為の人材をあたら討ち取っては天下の損失。それよりも志を同じくして万民を幸(さき)わせることこそ、君子のとるべき道と言えよう」
その情熱は嫡男・左京(さきょう。後の竹中重門)の教育にも反映され、徹底的なスパルタ教育を施したそうです。