逆賊とされた蘇我入鹿を祀る神社が奈良橿原にあった!旅で見つけた隠れ歴史スポット【後編】

高野晃彰

旅や歴史についての執筆が多い筆者が、取材などの途中で見つけた隠れた歴史スポットを紹介します。飛鳥時代の最高権力者でありながら、天皇家に対する逆賊として、大化の改新(乙巳の変)で討たれた蘇我入鹿。その入鹿を祭神とする全国唯一の神社である橿原市(奈良県)の入鹿神社を取り上げます。

【後編】では、いよいよ入鹿神社についてご紹介しましょう。この記事が、少しでも皆さんの歴史探訪の旅の参考になれば幸いです。

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逆賊とされた蘇我入鹿を祀る神社が奈良橿原にあった!旅で見つけた隠れ歴史スポット【前編】

旅や歴史についての執筆が多い筆者が、取材などの途中で見つけた隠れた歴史スポットを紹介します。飛鳥時代の最高権力者でありながら、天皇家に対する逆賊として、大化の改新(乙巳の変)で討たれた蘇我入鹿…

偶然に存在を知った入鹿神社

筆者が入鹿神社の存在を知ったのは偶然によるものでした。

その日は、著書である『奈良こだわりの美食GUIDE』(書籍/出版:メイツユニバーサルコンテンツ)に掲載をお願いしていた今井町のフレンチレストラン「tama」さんでの取材・撮影が終了。

 

奈良に戻るにしても、日暮れまでにまだ時間があったので、久しぶりに大和八木の古い町並みでも見てみようかと、飛鳥川沿いに歩みを進めていた時でした。位置関係を確認しようと覗いたスマホのマップ画面に、入鹿神社という名を見付けてしまったのです。

「そういえば、このあたりは蘇我氏の本貫地・曽我町に近いな」。何かが閃いたように、入鹿神社をググって、由緒などを調べているうちに、もう入鹿神社の鳥居の前に佇んでいました。

崇仏派の蘇我氏も神社を創建した

 

 

蘇我氏といえば、一般に廃仏派の物部氏と争ったといわれるほど、仏教を大切にした崇仏派として知られます。我が国で最古の寺院とされる飛鳥寺(法興寺)を開基したのも、蘇我馬子でした。

そんな馬子でさえも、祖先である武内宿禰と石川宿禰を祀る宗我都比古神社を創建しています。そうした史実を踏まえると、蘇我氏と物部氏との争いは、単なる仏教をめぐる争乱とは言い難いような気がするのは筆者だけでしょうか。

ちなみに、この宗我都比古神社は、『大和史』によると、近世には入鹿宮と称されていたとのこと。やはり、蘇我入鹿は時代が下っても、曽我に暮らす人々の心の中に大きなインパクトとして残っていたのではないでしょうか。

2ページ目 入鹿神社で感じられる地元の「入鹿愛」

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