門下生には坂本龍馬や新撰組隊士も。江戸三大剣術道場「玄武館」と北辰一刀流の軌跡【前編】

一之瀬 陽平

江戸時代後期に創始された剣術流派「北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)」

江戸にあった道場「玄武館(げんぶかん)」の門下生は3000人を超え、江戸随一の剣術道場となった。今回は幕末から明治維新にかけて活躍した志士たちを多く輩出した北辰一刀流剣術の歴史をご紹介する。

創始者・千葉周作(ちばしゅうさく)

北辰一刀流の創始者であり、玄武館を創設した人物である。1794年奥州生まれ。幼少期は宮城で暮らし、北辰夢想流と呼ばれる流派を学ぶ。

少年期に父と共に移り住んだ下総国(現在の千葉県)松戸にて、剣客・浅利義信に入門。中西派一刀流を会得した。

周作は義信の姪である「かつ」と結婚し中西道場を継ぐも、方針の違いより対立したとされる。義信の元を独立した周作は、全国を武者修行しながら他流試合で腕を磨いた。その後、自身の流派である「北辰一刀流」を創始。

1822年。28歳にして日本橋に北辰一刀流道場「玄武館」を建立。後に神田に移転する。門弟は3000人を超え、門下生からは幕末から明治維新にかけての日本において重要な働いをする人物を多数輩出した(後述)

1856年。永眠。享年61。

2ページ目 周作亡き後の玄武館

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