厄除けは 相模国の一宮…源頼朝や武田信玄も崇敬したパワースポット寒川神社のご利益や歴史

厄除けは 相模(※)国の 一宮(いちのみや)……ということで、私事で恐縮ながら、今年令和3年(2021年)で本厄42歳になる筆者。今回、寒川神社(さむかわじんじゃ。神奈川県高座郡寒川町)にお参りさせていただきました。

(※)さがみ。現代で言う神奈川県の大部分で、横浜市(南西部の旧鎌倉郡を除く)と川崎市を除きます。

厄除けなら寒川神社」……地元のラジオCMでもよく耳にしますが、一体どんな神社なのでしょうか。

関東八州の守り神、日本で唯一「八方除け」のご利益も

寒川神社の創建時期は不明ながら第、古くは21代・雄略天皇(西暦457~479年)の時代、勅幣(ちょくへい。皇室直々のお祀り)に与かった記録が伝わっています。

御祭神は寒川比古(さむかわひこ)命寒川比女(さむかわひめ)命で、2柱(※神様の単位)を合わせて寒川大明神(だいみょうじん)と呼ばれ、相模国を中心に広く関東地方を開拓、人々に衣食住の生活文化を伝えられたそうです。

日本神話(古事記、日本書紀)には登場せず、一説には大水上命(おおみなかみのかみ。大いなる水の上流≒山の神)の子とも言われ、かつて南関東に勢力を伸ばした相武国造(さがむのくにのみやつこ)一族が祀っていた氏神と推定されています。

よく「寒いから寒川」などと言われますが、ここより寒い地域(川の流域)はいくらでもあります。寒川とは特に水の清らかor冷たい(と現地の人が感じた)川を指しました。

と言って寒川という名前の川がある訳ではなく、神社の西側を流れる相模(さがみ)川目久尻(めくじり)川がそれに当たり、それぞれを男女一対の神(寒川比古命と寒川比女命)になぞらえたのでしょう。

そんな寒川大明神は関東八州(相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野)の守り神として、また江戸時代には江戸の裏鬼門(南西の方角)を守護する神として崇敬され、日本全国で唯一の八方除け(はっぽうよけ)の神様としても有名です。

八方除けとは地相・家相・方位・日柄・交通・厄年など八方から迫るすべての災厄(八方ふさがり、の語源)を除けてくれるご利益で、毎年およそ200万人の参拝者が訪れることからも、崇敬の篤さがわかります。

「新型コロナウィルスもろもろで少し遅くなりましたが、今年の本厄(人生の役目)を無事に勤め上げたく思います。どうかお見守り下さるよう、よろしくお願い申し上げます」

かつて源頼朝(みなもとの よりとも)や武田信玄(たけだ しんげん)など数多の武士たちも篤く信仰した寒川神社は神奈川県民の誇り。ご縁に恵まれましたら、是非ともご参拝頂ければと思います。

2ページ目 おまけ・相模国の一宮~五宮+α

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