コロナの感染が世界中に広がり始めて早一年。コロナ禍で二度目の桜が咲く季節となりました。昨年も花見の季節が終わると感染者が上昇したように今年も感染者が増えつつある昨今です。
ある感染症専門学者が『桜は魔性の花です』と発言なさっていました。『いくら今年は花見は我慢して』と言っても、どうしても日本人は桜を見に行ってしまう。普段は花など興味の無さそうな男性が、桜の花を一人で見ているのを見かける機会はよくあります。
今回のコロナ下での花見の規制は特別なものだとしても、これまでも色々な縛りの中で外でおおやけには花見が出来ない人たちがいました。
今回はそのような人達が外出も出来ず、しかしその状況下でいかに“桜の花見を楽しんでいたか”について、浮世絵の作品からご紹介しましょう。
宮中での花見
上掲の作品のタイトルは「宦女桜筵連歌ノ図」です。宮中に官女(女官)として仕えている女性たちが、満開の桜の枝をまるで本当の桜の木のごとく大ぶりに活けた、その周りに集まって座し「連歌」の会を催している様子を描いています。
「官女」になることのできる女性は、格式の高い高貴な家柄出身のお嬢様です。いくらお金に困ったことのない彼女たちでも、宮中で仕える「官女」という身分になったからには、宮中の中に住み込み、簡単に外出などできる自由はありません。
しかし春は皆に平等にやってきます。宮中でもせめて桜の花を活けて春の気分を味わおうということなのです。
連歌の文化的背景
連歌は鎌倉時代の頃よりその形が定まり、貴族や戦国武将達にとっても“必須の教養”とされました。貴族の邸宅や、格式の高い寺社などで数々の「連歌会」が催されました。
そして連歌会は宮廷文化の知的遊戯と言えるものとなり、また遊戯の枠を越えてコミュニケーションの場として、また政治的な繋がりや分断をも生み出す機会ともなったのです。
連歌会を行うには数々の作法があり、その一つに“その季節に応じた花を活ける”というものがありました。春爛漫、宮中で“桜”の花が活けてあり、となれば連歌会が行われるのは自然の流れだったのです。
連歌とは
連歌とは“和歌”から派生した短歌の「上の句」(五・七・五)と「下の句」(七・七)を2人で分けて詠み、一首を完成させる「短連歌」(たんれんが)から誕生しました。
短歌の上の句にあたる「長句」と下の句である「短句」を、複数人の詠み手で3句以上交互に連ねて詠む連歌が生まれたのです。
連歌の醍醐味はさまざまな人が歌を詠みついでいくうちに、最初は思いもよらなかった“変化”が歌の流れに生まれることです。
しかし連歌はただ単に前の人が歌った歌に、自分の作った句を付句していくだけのものではありません。そこには様々な規則や作法が存在するのです。