カステラの上に桃!?長崎で雛祭りの日に食べる桃カステラが最高に可愛い!

又木かなで

ふんわりとした生地に、卵と砂糖の素朴で優しい味わい。
底に敷かれたザラメの甘さとザクザクとした食感。
黄色と茶色のそれを見ただけで、思わず顔が綻んでしまう人も少なくないはず。

長崎のお菓子として有名なカステラは、室町時代末期にポルトガル人によってもたらされ、日本独自の製法を織り交ぜながら、私たち日本人に馴染みの和菓子の一つとして今日に至っている。

そんなカステラの上に桃を乗せた長崎の郷土菓子「桃カステラ」をご存知だろうか。

桃を乗せたと言っても、リアルに桃が乗っているわけではなく、桃を模した砂糖菓子をカステラの上に乗せている。

主に3月3日の雛祭りに長崎で食べられているという桃カステラとは。

ここでカステラの歴史や起源などをおさらい。

カステラは室町時代末期にポルトガル人宣教師によって長崎に伝来したとされている。
これには諸説あるものの、戦国時代に外国人宣教師が「カステイラ」というお菓子を作ったという記録が残されており、少なくともこの頃には既に日本に伝来していたことが分かる。


カステラの元となったのは、スペインの焼き菓子「ビスコチョ」か、はたまたポルトガルの焼き菓子「パン・デ・ロー」かなど起源についても諸説ある。

ともかく、ポルトガル人によってもたらされたお菓子を日本人好みに合わせて脈々と作り続けられ、和菓子として生まれ変わったのが今日私たちが口にしているカステラなのである。

江戸時代には天皇や将軍が口にしたほか、多くの料理本にも記述が見られ、カステラは人々に広くしられるお菓子となった。福砂屋や松翁軒といったお馴染みの老舗メーカーが創業したのもこの頃である。

ちなみに、坂本龍馬が結成した海援隊の日誌「雄魂姓名録(ゆうこんせいめいろく)」の中には、カステラのレシピが記載されている。もしかしたら、龍馬も海援隊のあった長崎の地でカステラを食べたかもしれない。

3ページ目 なぜ桃…?カステラの上に桃が乗った桃カステラとは

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