「いざ、上洛(じょうらく)じゃ!」
「「「おおう……っ!」」」
かつては「戦国時代、多くの大名たちが京都へ上って天下に号令することを目指していた」と考えられてきました。
しかし近年の研究では、別にそんな野心家ばかりではなく、ほとんどの大名は天下を狙うどころか、地元の経営や近隣勢力との小競り合いでいっぱいいっぱいだったと言われています。
さて、そんな大名たちが京都へ上ることを「上洛」と言いますが、京都へ上るのであれば「上京(じょうきょう)」でよさそうなものです。
(※現代では東京へ行くことを上京と言いますが、当時はもちろん東京どころか、江戸の町さえ不確かなものでした)
この「洛」が「京都」を意味することは、京都の内外を描いたことで有名な「洛中洛外図(らくちゅうらくがいず)」からも察しがつくものの、どうして京でなく洛なのでしょうか。今回はその辺りを紹介したいと思います。