三浦春馬 主演!映画『天外者(てんがらもん)』の主人公・五代友厚は渋沢栄一と並ぶ日本実業界の双璧だった

激動の幕末を駆け抜け、明治維新を切り拓いた五代友厚(ごだい ともあつ)の情熱的な生涯を描く映画『天外者(てんがらもん)』が、令和2年(2020年)12月11日(金)に公開予定です。

天外とは「天空のはるか彼方」転じて「常人には思いもよらぬ」様子や人物(例:奇想天外)を表わしており、「てんがら」とは友厚の故郷である薩摩(現:鹿児島県西部)の訛り。

幕末維新に功業をなし、近代日本の実業界をリードした点で、かの渋沢栄一(しぶさわ えいいち)と並ぶ実業界の英雄と言われながら、同じ薩摩の西郷隆盛(さいごう たかもり)大久保利通(おおくぼ としみち)らの陰に埋もれがちだった友厚。

今回はそんな五代友厚の生涯を、駆け足で紹介していきたいと思います。

父が見せてくれた世界地図と、黒船の到来

五代友厚は江戸時代末期の天保6年(1836年)12月26日、薩摩藩士である五代秀尭(ひでたか)の次男として誕生。幼名は徳助(とくすけ)、質実剛健を旨とする藩風のもと文武両道に邁進します。

そんな徳助が世界への目を開いたのは、14歳となった嘉永2年(1849年)、父・秀尭が見せてくれた世界地図。これは主君・島津斉興(しまづ なりおき)がポルトガル人より入手したものでした。

「徳助よ、これを写せ」

秀尭は世界地図を2枚写させ、その内の1枚を徳助の部屋に貼らせます。人間、日ごろ目にしているものについては何かと関心が高まるもので、徳助も藩や日本の枠を超えて、世界で活躍したいと志を抱くようになったのかも知れません。

月日は流れて安政元年(1854年)、19歳となった才助(さいすけ・元服により改名)は、浦賀(現:神奈川県横須賀市)に黒船(アメリカのペルリ提督)が来航したとの報せを耳にします。

これまでになかった緊急事態に天下は騒然、大混乱に陥る中にもかかわらず
「男として、一生の志を立てるチャンスが来たぜ!(男児志を立てるは、まさにこのときにあり)」
と奮い立ったそうですから、よほどの豪胆と、世界へ開かれていた意識の高さがうかがわれます。これが才助の「志士」となった瞬間でした。

3ページ目 志士たちとの交流、宿敵イギリスから学んだ知識を倒幕に活かす

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