世界的な観光地京都にあって、「足を踏み入れてはいけない」タブーなエリアの一つであった五条楽園。2010年の取り締まりで、色街として壊滅した後、ゆっくりながら再生への道を歩んでいます。
最終回は、「レトロ建築が残るインスタ映えする街」「ピースフルな街」に生まれかわりつつある五条楽園の近状をご紹介しましょう。
五条楽園の歩んできた歴史などは、ぜひ【その1】と【その2】もご覧ください!
京都に残る旧色街「五条楽園」。ディープな遊郭・お茶屋の街からレトロで個性あふれる街へ【その1】
京都に残る旧色街「五条楽園」。ディープな遊郭・お茶屋の街からレトロで個性あふれる街へ【その2】
赤線の名残り残る街からレトロな建築物を活用する街へ
2017年、永らく五条楽園に本拠を構えていた何某広域暴力団が姿を消してから、この地は大きな変貌を遂げています。
お茶屋や妓楼、カフェ―などの古い建築物を改装して、飲食や物販、宿泊施設として活用するという動きが行われているのです。
今も色濃い色街の風情を残しつつピースフルな街に生まれ変わった、現在の五条楽園。お茶屋建築・妓楼建築・カフェ―建築や、それらを活用したショップなども増えています。
五条楽園に残るお茶屋建築・妓楼建築
五条楽園が五条楽園たるゆえんは、この地に残るお茶屋や妓楼などの貴重な建築物にあります。もし、これらが消滅し、駐車場やマンションなどに代わってしまったら、もはやどこにでもあるような普通の街の景観になってしまうでしょう。
色街としての五条楽園が消滅してから約10年、幸いにもかつての楽園を象徴する建築物のいくつかは健在しています。
お茶屋建築の中でひときわ目を引くのが、五条楽園を代表する大店の「本家 三友」。立派な唐破風(※)の上の瓦には「三友楼」の文字が読み取れます。
※唐破風:日本の城郭建築に見られる、頭部に丸みがある破風の一種。
元遊郭の雰囲気を体感できる「平岩」は、外国人に人気の予約困難な旅館。コロナの影響で外国人がいない今はかえって宿泊するチャンスかもしれません。
すぐ近くには、一度は廃業したものの、若き銭湯活動家により復興し、銭湯カルチャーの火付け役ともいわれる「サウナの梅湯」もあります。