戦国時代、伊賀や甲賀をはじめとする多くの忍者が全国各地で活躍しました。彼らの多くは戦乱の終結と共に歴史の表舞台から姿を消します。
しかし忍者が完全にいなくなったわけではありません。
幕末、一人の忍者が来航した黒船に乗り込んでいました。
伊賀の無足人
澤村甚三郎保祐(さわむら じんざぶろうやすすけ)は、幕末に実在した伊賀国の忍者です。当時、伊賀国は伊勢藤堂藩の領地であり、甚三郎も無足人として生活していました。
無足人は、名字帯刀を許された郷士(土豪、上級農民)です。通常の藩士のように禄(仕事をせずに藩から貰える給料)を受けられません。しかし役料(仕事によって得られる給料)は得ることが出来ました。
その他に賦役(労働によって支払う税)も免除され、紬や絹の着物を着用する許可など様々な特権が与えられていました。
無足人は有事において軍役に付くことが想定され、一年に一度の「武芸一覧」のために研鑽を積んでいました。これは藩主に自分の技を見えるという催しです。その中には家伝の火術を披露するなど、伊賀忍者の流れを彷彿とさせるものもありました。
彼らの多くは平時に大庄屋として村々を取りまとめ、裁判を行うなど、藩の民政に関与する存在でした。この甲斐あってか、幕末まで藤堂藩では一揆は起きていなかったと言います。