滅亡した主家再興に生涯を捧げ”山陰の麒麟児”と呼ばれた武将「山中幸盛」【その5】

一之瀬 陽平

1578年、長年の尼子家再興運動の甲斐なく無念の死を迎えた「山中幸盛」。幸盛には長男・幸元がおり、その血統は後世に存続した。

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幸盛死後の山中家と尼子家

1571年に生まれ、黒田家の養子となっていた嫡男・幸元は8歳で父・幸盛を亡くした。その後黒田家は滅び、以降の幸元の正確な足取りはわかっていない。

最終的には大叔父である「山中信直」を頼って、伊丹(兵庫県)に落ちの伸び養育されたとされる。幸元は武士の身分を捨て酒造業で成功し、後の「鴻池財閥」の始祖となった。

一方の尼子家は、勝久の血筋は再興運動失敗によって途絶えたが、当主であった「尼子義久」とその兄弟は毛利氏に捉えられた後、配流生活を送りながら長らえた。子孫は知行を許され長州藩や水戸藩に仕官したという。

幸盛の逸話

幸盛は尼子家再興に尽力した10人の武将からなる「尼子十勇士」の中心人物である。十勇士の名称が初めて現れるのは1677年に発行された「後太平記」であり、幸盛を含め4名の名前を確認することができる。

現実的に十勇士なるものが存在していた確証はない。後世の創作である可能性もあるが、「山中幸盛」「秋上宗信」「横道秀綱」の3名は実在が証明されており、尼子家再興に尽力したことは確かである。

幸盛の通称である「鹿介(しかのすけ)」の由来は、兄に変わって家督を継いだ際に譲り受けた三日月の前立てに鹿の角の脇立ての冑から取られたものであるという。

2ページ目 幸盛最後の地「阿井の渡し」の墓

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