15年部屋にこもって自分を磨き続けた!幕末の大老・井伊直弼は本当は超良い人説【1】

小山 桜子

幕末の大老、井伊直弼(いい なおすけ)。彼について、悪人というイメージを持つ人は多いのではないでしょうか。しかし、近年は井伊直弼という人物を見直す動きがあります。

井伊を悪人とする見方は、明治維新以降、つまり徳川幕府側が「逆賊」となったのちに勝者側の視点で描かれたストーリーであり、当時の井伊がそうした行動するに至った経緯、心理を正確に伝えるものではないのではないかというのです。

なぜ彼は悪人となったのか

広く一般に知られている井伊直弼の行動は以下のようなものです。

1858(安政5)年4月下旬に幕府大老に就任した井伊直弼は5月上旬には将軍の跡継ぎを自分が推している紀伊藩主徳川慶福、のちの徳川家茂にスピード決定します。

さらには、かつて老中阿部正弘に抜擢された一橋派の幕臣を次々と更迭。6月には天皇の許可である勅許を得られないまま開国に至ります。その行動には批判が高まりますが、その後、井伊の判断に批判の声を上げた反対勢力(井伊を打倒しようと企てていた学者や公家の一派、また一橋派に関わる人物ら)を安政の大獄によって一斉に粛清してしまいます。

これだけ見ると、「井伊直弼=権力をかさに独裁政治を行い、多くの人の命を奪った極悪非道な政治家」というイメージがつくのも当然なことに思われます。

2ページ目 チャンスに恵まれなかった青春期

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