※2020年8月3日 記事最後に追記しました
現在国宝のひとつとして伝わる金印「漢委奴国王印」。学校の歴史教科書にも必ず写真入りで出てくるので、殆どの方は一度は目にしたことがあるかと思います。
ただ、金印の発見の経緯について、細かくご存知の方はそんなにいないのでは?
この金印、実は江戸時代の天明年間に甚兵衛という地主によって水田の耕作中に偶然発見されたといわれています。発見された金印は、郡奉行を介して福岡藩へと渡り、その後、儒学者であった亀井南冥によって『後漢書』に記述のある金印だと鑑定されたそうです。
ところが近年、この金印が亀井南冥によって偽造されたものだったのではないかとされる説が注目されています。
まず、この金印が本物であるとする根拠は、文字が彫られた面の長さ(一辺約2.3cm)が、漢王朝の一寸と合致すること、また戦後、中国から同じ蛇形のつまみを持つ金印が発見されたこと、そして「漢委奴国王印」にそっくりな字体の金印が出土していることなどの三点があげられます。
その一方で、この金印のはっきりした出土場所が不明なこと、また、発見者の甚兵衛が実在していたことを示す当時の記録がないことなど、当時の発見状況があいまいなことにあります。
ただ、これに関して『黒田家家譜』という記録によれば、1809年(文化6年)に甚兵衛屋敷から火災が発生し、その責任のために甚兵衛も志賀島から追い出された旨が書かれているので、火災を契機に当時の記録から甚兵衛のことが抹消された可能性もあります。