5月5日に男の子の成長を祝う「端午(たんご)の節句」で飾られる五月人形。多くは武家の古習に倣った甲冑具足や、元気いっぱいの代名詞である金太郎が飾られる中、一風変わった人形が目を引きます。
ヒゲむじゃらの怖い顔をしたおじさんが剣を持って睨んでおり、名札には「鍾馗(しょうき)」とありますが、いったい何者なのでしょうか。
鍾馗のルーツは唐王朝・玄宗皇帝の見た不思議な夢
今は昔、海を隔てた中国大陸に唐王朝(とう。武徳元618~天祐四907年)が栄えていた時代のこと。第6代皇帝・玄宗(げんそう。垂拱元685~上元二762年)が瘧(おこり。マラリア)の病を患い、寝込んでいた時のことです。
ある晩、高熱に魘(うな)された玄宗が不思議な夢を見たのですが、宮廷の中を小鬼が暴れ回っていたところ、後からやって来た大きな鬼が小鬼を捕まえ、喰い殺すというものでした。
玄宗が夢の中で「そなたは何者じゃ」と尋ねたところ、大きな鬼は身の上話を始めます。
「それがしは姓を鍾、名を軌と申し、終南県(現:中国陝西省)の出身でした。かつて建国したばかりの唐王朝に仕官するべく科挙(かきょ。官吏の採用試験)に受験したものの、あえなく落ちてしまいました……」
「一族から大きな期待を寄せられて故郷を出ておきながら、家名を汚してしまったことを恥じて自決したのですが、怨みを遺して死んだために鬼となってしまったのです……」
「そんなそれがしを高祖(唐の初代皇帝・李淵)陛下は大層憐れまれてご供養下さり、無事に成仏することが出来ました。その御恩をかねがねお返ししたいと思ってきたため、こたび高祖陛下の子孫である陛下をお救いした次第にございます……」
話が終わったところで目が覚めた玄宗は、気づくと熱が下がって全快していました。これはきっと、自分の身体(宮廷)に巣食っていた病魔(小鬼)を、鍾馗が退治してくれたことを意味していたのでしょう。
この夢に感じ入った玄宗は、当世随一の画聖・呉道玄(ご どうげん)を招聘して鍾馗の話を描かせました。すると、そっくり夢で見たままの絵姿に仕上がったため、これを魔除けとして臣下に配り、毎年正月になると各家の門扉に貼らせたそうです。