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痛々しいけど愛おしい♡室町時代の中二病文学「閑吟集」より特選14首を紹介【上】
痛々しいけど愛おしい♡室町時代の中二病文学「閑吟集」より特選14首を紹介【中】
室町時代の中二病文学『閑吟集(かんぎんしゅう)』は、幕府体制の破綻による社会秩序の崩壊を前にした庶民たちが、混乱する社会の中で生き抜こうとするしたたかな感情を、活き活きと詠んだ和歌300余首が収録されています。
その技法は拙く、斜に構えたような「中二病」感が気になる方も多いと思いますが、その奥にある豊かな心の動きにも注目して頂けると嬉しいです。
11、赤きは酒の咎ぞ 鬼とな思(おぼ)しそよ 恐れ給はで 我に相馴れ給はば 興がる友と 思すべし 我も其方(そなた)の 御姿(おんすがた) うち見にはうち見には 恐ろしげなれど 馴れてつぼいは山伏
【意訳】赤いのは酒に酔っているからであって、俺を赤鬼だなどと恐れないで欲しい。打ち解ければ楽しい友達になれるのだから。そもそも俺だって、最初にお前の姿を見た時は警戒したけれど、こうして話してみればいいヤツじゃないか。山伏殿よ。
これは大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)を退治するため、山伏に変装してやって来た源頼光(みなもとの らいこう)たちに対して、酒呑童子が「みんな俺を赤鬼だと恐れるけれどよぉ、本当は心優しい人間なんだぜ……」と愚痴?をこぼすシーンを詠んだものです。
※「つぼい」とは可愛らしい、愛嬌がある等の意味から「気さくな、いいヤツ」と言ったニュアンスで用いられています。
一説には、酒呑童子はもともと人間(しかもイケメン)だったのが、とある女性をフった怨みで呪いをかけられ、醜く恐ろしい鬼の姿になってしまったとも言われています。
「……だからせめて、この鬼の姿を恐れず接してくれるお前たちだけは、俺と分け隔てない親友になって欲しい」
そう聞くと、ちょっと切ない気持ちになってしまいそうですが、情に流されない頼光たちは冷徹に任務を完遂。酒呑童子は最期に悲痛な叫びを遺します。
「偽りなしと聞きつるに、鬼に横道(わうだう⇒おうどう)なきものを!」
※『今昔物語集』より。(意:お前たちは言ったじゃないか!俺と偽りなき親友になってくれると!鬼ならば、こんな卑怯なやり方で敵を欺きはしない!)
ぶっちゃけ「お前ら人間は、俺たち鬼よりよっぽどゲスい!」と罵倒しているのですが、ちょっと否定できない気もします。
12、篠(すず)の篠屋の村時雨 あら定めなのうき世やなう
【意訳】細くて頼りないスズタケを編み組んだ粗末な小屋(篠屋)に降りしきる雨……まったく世の無常を感じるよ……。
村時雨(むらしぐれ)とは、村雨(むらさめ)と時雨(しぐれ)を組み合わせた言葉。どちらも「にわか雨」を意味していますが、時雨は特に晩秋から初冬のそれを意味しており、寒々とした情景を思い起こさせます。
「かつては世の栄耀栄華を極めた俺も、今じゃこんな侘しい暮らし……本当に世の中、明日の事は判らないもんだなぁ……うぅ寒いっ」
そんな嘆息が聞こえてくるようですが、「お前なんか、まだマシな方さ」とばかり次の歌が詠まれています。
せめて 時雨(しぐ)れよかし 独り板屋の淋しきに
【意訳】せめて時雨でも降ってくれれば、独りぼっちの淋しさが少しは紛れるのに……。
こちら篠屋よりも屋根・壁のしっかりした板屋(バラック)ですが、あまりにも静か過ぎて独りぼっちが身に沁みる……それに比べれば、雨漏りが絶えない篠屋であっても、誰かと一緒に居られるなら、その方がよほどマシだと言っているのでしょう。
皆さんなら、どっちがマシだと思いますか?