戦場で生まれた絆!奥州征伐で抜け駆けした鎌倉武士の縁談エピソード【下】

これまでのあらすじ

戦場で生まれた絆!奥州征伐で抜け駆けした鎌倉武士の縁談エピソード【上】

古来、結婚は家同士の結びつきとしてとらえられ、往々にして結婚する当人同士の意思とは無関係に話が進められてしまうものでした。結婚するまで相手の顔も知らない、そもそも結婚することさえ知らされなかっ…

戦場で生まれた絆!奥州征伐で抜け駆けした鎌倉武士の縁談エピソード【中】

前回のあらすじ前回の記事はこちら[insert_post id=113446]時は平安末期の文治五1189年8月9日、源頼朝(よりとも)公が奥州の藤原泰衡(ふじわらの やすひら。奥州藤原氏…

時は平安末期の文治五1189年、源頼朝(よりとも)公が奥州の藤原泰衡(ふじわらの やすひら。奥州藤原氏)を征伐するべく兵を挙げました(奥州征伐)。

8月9日の夜、手柄を求めて抜け駆けした三浦平六義村(みうらの へいろくよしむら)たち七人の中に、工藤小次郎行光(くどうの こじろうゆきみつ)藤澤次郎清近(ふじさわの じろうきよちか)も加わっており、いよいよ敵陣に殴り込みます。

大乱戦の中、敵の大将・伴藤八(ともの とうはち)に弟分として可愛がっていた狩野五郎親光(かのうの ごろうちかみつ)を殺された行光は、怒り狂って藤八を討ち取ると敵陣はより一層の大混乱に。

「まずはこれくらいで良かろう」と義村が引き上げを号令、とりあえず行光も敵陣から脱出したのでした……。

戦友・藤澤次郎清近の窮地を助ける

さて、朝霧の中を進んでいた行光ですが、その前方で取っ組み合いの格闘をしている二人の武士がいました。

「へぇ、おまんとうぁ何やってるでぇ?(お前たちは何をしているのか)」

どう見ても殺し合いなのは一目瞭然ですが、とりあえず誰かを確認したかったようです。切羽詰まった声が答えるには、

「そん声は小次郎け(その声は小次郎か)!俺だ、次郎だ、藤澤次郎だ!」

……と言うことは、戦っているのは奥州勢(清近の声を聞いて手を緩めないため、少なくとも味方ではない)。誰であろうと、とりあえず殺しておいて損はなさそうです。

「ほうけ次郎け、今行かだぁ(そうか次郎か、今行くぞ)!」

かくして二人がかりでその敵を殺し(卑怯?知るもんですか。どんな手を使って何人がかりだろうが、とかく戦は勝ってこそ、生き延びてこそ)、首級は清近にやりました。行光には、既に伴藤八の大将首がありましたから。

「あぁ助かったわい……小次郎よ、此度は命ばかりか手柄まで……誠に忝(かたじけね)ぇ」

「あにょう(何を)他人行儀なこん(事を)。いいさよー、俺とお前の仲じゃんねー」

とりあえず敵がやって来ない、安全な所まで引き上げてきた二人は、馬の鞍にぶら下げた斬(と)りたて新鮮な生首から流れる血の滴を眺めつつ、互いの無事を喜びました。

「……しかし、五郎は可哀想じゃったのう……」

「まぁ、しょうがないじゃんね。それが戦っちゅもんだ(戦というものだ)……」

かつて一念発起して甲州・信州の地から頼朝公の挙兵に馳せ参じて以来、共に修羅場を潜り抜けて来た戦友が、大切にしていた弟分を失った哀しみを、清近は痛感していました。

2ページ目 知らぬは本人たちばかり……遠く奥州で決まった縁談

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