大河ドラマ「麒麟がくる」では、斎藤道三(さいとうどうさん)の奥方のために京都から医者を連れてくる話がありましたね。明智光秀(あけちみつひで)の前半生は知られていないことが多く、実は謎に包まれています。しかし、医療の面から、光秀がどんな武将と関わりがあったかが判明しようとしています。
戦国時代、「金瘡(きんそう)」と呼ばれる、傷による緊急手術への知識をまとめた医療分野がうまれました。各武家は独自に医術を変化させ、さまざまな流派があったといいます。
高度な医術が敵に知られたら戦争が不利になることもある時代、各武家は一族だけに伝わる秘薬を所持していました。時代が違いますが、「金瘡」の表記のある資料を添付します(1行目)。
そして近年、熊本県で発見されたという医学書『針薬方(しんやくほう)』に、「セイソ散」なる薬が光秀からもたらされたという記述があり、話題に。
これは光秀が初登場した文献で、足利義昭に仕えた米田貞能が1566年に書き写したものなのですが、その元となる本は「近江田中城」に籠城した際に、足利将軍家に仕えた沼田勘解由左衛門尉(ぬまたかげゆざえもんのじょう)が光秀から聞いたものだというのです。熊本で発見されたのは、その米田がのちに熊本の肥後細川家の家老となったためと思われます。