皆さん、「粉もの」はお好きでしょうか。筆者は大好きです。
ご飯の魅力とはまた違った個性的な食感と、小麦粉を水で練って火を通せば食べられる調理の手軽さで広く親しまれている粉ものには、日本全国でさまざまなバリエーションが見られます。
その中でも、東北地方を旅行した時に食べた「ひっつみ」が強く印象に残っており、その話をしたところ、東北の知人が言いました。
「それは、ウチの方だと『はっと』って言うね」
同じものでも地方によって名前が違うのはよくあることですが、一体どんな理由で「はっと」とネーミングされたのでしょうか。
今回はそれを調べて、紹介していきたいと思います。
一、御「法度」説
「……おぃ旦那、そいつぁ御法度(ごはっと)だぜ?」
法度とは元来「武家諸法度」のように広く「決まりごと」全般を意味する言葉ですが、普段はそんなお達しなどあまり意識していない?庶民たちは、特に厳格な「破ると罰せられる」レベルの禁令(規制)およびその対象について、お上への反抗心も綯(な)い交ぜに御法度と呼ぶようになりました。
そこで、この料理もお上が禁令を出したから御「法度(はっと)」と呼ばれたらしいのですが、別に贅沢品でもない(小麦や雑穀の粉を水でこねて茹でただけの)郷土料理を、なぜそうまで目くじらを立てるのでしょうか。
一、あまりに美味すぎるので、米作りを怠けて小麦ばかり作ろうとするから
一、あまりに美味すぎるので、何杯もおかわりして食糧を浪費してしまうから
江戸時代、年貢(税)は米で納めさせるため、為政者にとって利益(課税対象)にならない小麦や雑穀ばかりせっせと作られても困るのです。
もちろん、お上に納めるため最低限の米は作るのでしょうが、どうせ自分の口に入らない米に丹精を込めるゆとりなどない農民も、決して少なくなかったことでしょう。
また、かつて徳川家康が「(民を支配するコツは)生かさぬように、殺さぬように」と語ったように、為政者たちは「民衆に美味や満腹を覚えさせるとロクなことにならない」と考えていたようで、腹いっぱい食べるということは生活水準を上げることにつながります。
現代のように「カネさえ出せば、何でも好きなだけ食べられる」時代ではなく、凶作に見舞われるとたちまち飢えてしまうため、なまじ生活水準(≒食糧消費量)は上げさせない方がいいという考えもありました。
厳しい時代ならではの慈悲と言えなくもありませんが、ともあれこの料理は「(ご)はっと」と呼ばれるようになったそうです。