知らずに身売り契約書にサイン…アメリカで奴隷にもなった総理大臣・高橋是清の壮絶人生【下】

湯本泰隆

昭和のはじめ、大不況にあえぐ日本経済を見事に立ち直らせ、「財政の神様」とまで呼ばれ男・高橋是清(たかはし これきよ)。1854年、江戸で生まれて1936年に二・二六事件で暗殺されるまでの彼の人生は波乱万丈そのものでした。

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知らずに身売り契約書にサイン…アメリカで奴隷にもなった総理大臣・高橋是清の壮絶人生【上】

昭和のはじめ、大不況にあえぐ日本経済を見事に立ち直らせ、「財政の神様」とまで呼ばれ男・高橋是清(たかはし これきよ)。1854年、江戸で生まれて1936年に二・二六事件で暗殺されるまでの彼の人生は波乱…

さて、日本に帰ってきた是清。森有礼の口利きで大学南校(いまの東京大学予備校みたいなもの)の教師として採用されます。ところがこの頃からまた悪い遊びを覚え、宴席で大酒を呑むんだり、芸者をあげて大騒ぎするようになりました。

ついに学校を辞めて無一文になって馴染みの芸者のところに転がり込み、芸者の荷物持ちにまで落ちぶれてしまうのでした。

また、是清は英語学校の教師と翻訳の仕事で彼は約5千円の貯金を作りました。「貯金で5千円を3万円にし、その利子で約30人の学生に奨学金が出したい」

その話を聞いて銀相場を張ることを勧めてくれる人がいました。その話に乗ったのがいけなかった。あっという間に元金5千円をすられてしまい、すっかり貯金もなくしてしまいました。

相場で貯金を無くした彼を救ってくれたのはまたもや森有礼。森の世話で専売特許局長になり、欧米に出張して特許法の制定に尽力し高く評価されました。

2ページ目 秀才には、生きた財政は分からない

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