これまでのあらすじ
眉目秀麗・文武両道で知られた清盛の嫡孫・平清経(たいらの きよつね)は、18歳の初陣以来、反平家勢力との戦いに赫々たる武勲を立て続けました。
しかし平家の劣勢は最早いかんともしがたく、平家一門は京の都を落ち、荒れ果てた「夢の都」福原を焼き払い、そして九州・大宰府では亡父の家人にまで裏切られ……。
あてもなく海上をさまよう平家一門に、果たして明日はあるのでしょうか。
これまでの記事
諸行無常の響きあり…裏切りに絶望した悲劇の貴公子・平清経の生涯(上)
諸行無常の響きあり…裏切りに絶望した悲劇の貴公子・平清経の生涯(中)
ながらへはつべき身にもあらず……前途を悲観して入水
つい半年前、左近衛権中将の位に叙せられ、早くも人生の絶頂期を迎えたと思ったら、気づけば木曾義仲に今日の都を追われ、かつて祖父・清盛が一期の夢と築き上げた福原の旧都を焼き払い、そして再起を期そうと逃れついた大宰府では、父・重盛に仕えていた緒方惟義(おがたの これよし)にまで裏切られ、今は拠るべなく波間をさまようばかり……。
事ここに至って、清経はすっかり絶望していました。
「宮こ(=都)をば源氏がために攻め落され、鎮西(=九州・大宰府)をば惟義がために追出さる。網にかゝれる魚(うを)のごとし。いづく(何処)へゆかばのが(逃)るべきかは。なが(永)らへは(恥)つべき身にもあらず」
※『平家物語』巻第八「太宰府落」より
【意訳】「京の都を木曾義仲に奪われ、大宰府では惟義にまで裏切られる始末。まるで網にかかった魚のように、どこへも逃げる場所はない……かくなればこれ以上、生き恥を晒しとうない」
清経は船室から甲板へ出ると、得意の横笛を奏でて好きな和歌を朗詠しますが、その和歌については残念ながら記録が残されていません。しかし美意識の高そうな清経ですから、さぞや美しい和歌を、美しく詠み上げたことでしょう。
心ゆくまで笛と歌を味わった清経は、やがて心を静めて読経念仏を唱え、初冬の海へと身を投げたのでした。
時は寿永三1183年10月、享年21歳。月の美しい夜であったと伝えられます。