江戸時代半ば、オランダ語を介して西洋の医学を学ぶ蘭学が流行しました。その中でもよく知られているのが、杉田玄白(すぎたげんぱく)らによる西洋医学書の翻訳作業。
玄白らはオランダ語で描かれた解剖書を翻訳して『解体新書』を刊行し、西洋医学研究の先がけとなりました。人体の構造に即した知識が紹介され、「神経」「軟骨」「動脈」や「処女膜」など、今日の医学用語でもあるこの言葉たちが、この翻訳作業で生まれたのです。
と、ここまではおそらく日本史の授業でも教わる内容です。
オランダ語が苦手だった杉田玄白
ところが実際の杉田玄白、実はオランダ語が苦手で翻訳作業にはほとんど参加していませんでした。
代わりに前野良沢(まえの りょうたく)という医学者が翻訳の中心となりましたが、当時は蘭学研究が始まったばかりで、良沢も充分な知識を持ち合わせていませんでした。
この時代、オランダ語に精通する人物は限られており、辞書も普及していなかったため、悪戦苦闘しながら翻訳作業は進められたといいます。