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伝説の美しき遊女・地獄太夫。人々に愛された地獄太夫と一休禅師が与えた影響[前編]
地獄太夫とは[caption id="attachment_102614" align="aligncenter" width="458"] 月岡芳年 新形三十六怪撰 “地獄太夫悟道の図” ウィ…
門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
この絵に描かれた地獄太夫は、白無垢に地獄変相の打ち掛けを羽織っています。遊郭には紋日という、ざっくばらんに言うと料金が2倍になる日があり、その紋日には元旦から松の内も含まれています。そのような日に遊女達は白無垢を着たそうで、そのことから正月を描いていると思われます。背後に描かれているのは門松でしょう。
さて、左にいるのは一休禅師です。竹の先にしゃれこうべを載せて、とても楽しそうです。地獄太夫は穏やかな微笑みを浮かべて、一休禅師をみつめています。しかし右にいる男は怪訝そうにしゃれこうべを見ており、新造達も不快な様子です。
一休禅師は風狂の人でもありました。“風狂”とは“戒律などの破戒的な行為を、悟りの境涯と肯定的に捉えること”です。一休禅師は女犯をし、酒も飲み、肉や魚も食べました。地位や名誉を欲しがる当時の仏教の形骸化に、一休禅師は反旗を翻したのでした。
一休禅師は人々がお正月を迎えると、誰も彼もがめでたい、めでたい、と振る舞うことを不思議に思ったのです。お正月を祝う家々に、竹の先のしゃれこうべを差し入れて歩いてまわりました。そして“ご用心、ご用心。このしゃれこうべを御覧なさい。目が出てしまって、こういうことを目出たい言うのです。
人間というものは、無事に昨日を生き過ぎたことに慣れて、今日も無事に終わるものだと漫然と過ごしてしまう。正月を迎えて歳を重ねたということは、確実に死に一歩近づいているということなのですよ”と説いたといいます。
あるとき地獄太夫は一休禅師に「出家して仏に仕えることが出来れば、せめて救いがあるものを」と嘆くと、一休禅師は「五尺の身体を売って衆生の煩悩を安んじる汝は邪禅賊僧にまさる」と言って慰めたといいます。