盛者必衰は世の習い……とは言うものの、甲州の戦国大名であった武田氏の末路は、四百年余を経た今日にあってなお、聴く者の哀れみを誘わずにはいられません。
偉大なる先代・信玄公の跡目を継いだ勝頼公の重圧と苦悩、老臣と新参者の確執による結束の弱体化、そしていざ劣勢になれば恃みにしていた一門衆の相次ぐ離反……。
かつて戦国最強とも謳われた武田の騎馬軍団が見る影もなく瓦解していく惨状を前に、多くの甲州武者たちが絶望感に打ちひしがれたであろうことを思えば、無理からぬ決断だったのかも知れません。
しかし、そんな中でも最後まで武田家再興の希望を捨てず、身命を擲(なげう)って闘い抜き、忠義をまっとうした甲州武者も少なからずいました。
今回はそんな一人・笠井肥後守高利(かさい ひごのかみたかとし)のエピソードを紹介したいと思います。