永遠なる“武士の魂”!殉死に反対し戦国大名・宇喜多直家に忠告した老勇者のエピソード

「私たちの愛は……永遠だよね」

「君を愛し続けよう……永遠(とわ)に」

最近、これら「永遠」という時間の単位は、全人類で平均すると大体「一週間くらい」というジョークを耳にしましたが、その一方では生涯添い遂げるばかりか「たとえ死んでも、生まれ変わっても一緒にいたい」という奇特な方々も、少なからずいらっしゃるそうです。

さて、大切な人(主君など)を亡くしてしまった喪失感をいかんともしがたく、後を追って自殺する行為を「殉死(じゅんし)」と言います。

一部には故人の遺徳や、故人との深いつながりを示すものとして評価する方もいますが、後を追う当人の自発的な意志ならともかく、それを強要されてはたまりません。

今回はそんな「殉死」について、備前国(びぜんのくに。現:岡山県南東部)を治めた戦国大名・宇喜多直家(うきた なおいえ)のエピソードを紹介したいと思います。

戦国の謀将・宇喜多直家の生涯を振り返る

時は戦国・天正九1581年。

幼くして祖父・能家(よしいえ)を殺され、砥石城を追われた流浪生活の中で父・興家(おきいえ)を亡くしながら、挫けることなく元服後は備前の戦国大名・浦上宗景(うらがみ むねかげ)に仕官。

その後、謀略の限りを尽くして祖父の仇討ちをはじめ、数々の政敵を暗殺。ついには主君である宗景に謀叛を起こし、一度は屈するも二度目で下剋上を果たし、備前国は元より、備中・美作の両国にもまたがる戦国大名へとのし上がった謀将・宇喜多直家

織田や毛利という大大名を東西に抱えながら、懸命にわたり合ってきた山陽の梟雄にも、いよいよ死期が訪れていたのでした。

4ページ目 死にゆく孤独と、老臣の諫言(かんげん)

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