「濡れ衣だ!私はやっていない!」
……とまぁこんな具合に、無実の罪を着せられることを「濡れ衣(ぬれぎぬ)」と言います。
確かに、グショグショに濡れた衣服は着ていて不快ですし、そんなものを無理矢理着せられた時のストレスと言ったら、無実の罪に匹敵するかも知れません。
「だから『濡れ衣』って言うんだよ」
以前にそんな話をされていた方がいたので、少し補足させていただいたことがあります。衣はなぜ濡れているのでしょうか?同じく不快そうな泥とかじゃダメなのでしょうか?
今回は、その理由について諸説の一つを紹介します。
三途の川と六文銭
濡れ衣はなぜ濡れるのか……それを説明するには、三途の川(さんずのかわ)を渡らなくてはなりません。
三途の川には渡し舟を営業?する鬼がいて、料金(渡し賃)を支払うことで乗せてくれます。その金額は、俗に六文(ろくもん)と言われ、かけ蕎麦が一杯十六文の相場として、現代だと320円くらいとすれば、一文は約20円。
つまり、三途の川の渡し舟に乗るためにはだいたい120円くらい支払えばいいことになりますが、ここから先が少しややこしい。
人間、死ぬ時に銭コ(じぇんこ)はビタ一文持っていけません。
荼毘に付されて(≒火葬されて)すべて灰……じゃあ誰も渡し舟に乗れないじゃないか!と心配されるかも知れませんが、大丈夫です。
三途の川の渡し賃は、皆さんが生きている間に支払うシステム?となっているそうです。
それは「誰かの役に立つようお金を使うこと」。
この世とあの世の為替レートは存じませんが、自分の欲ではなく、真に誰かの幸せを願い、見返りを求めずお金を使うことで、ポイントが貯まって……的なイメージでしょうか。
いずれにせよ、生きている間にしっかりと渡し賃を支払っておけば、三途の川も悠々と渡ることができます。
※「六文銭」の考え方には諸説あります。