これまでのあらすじ
上・中編はこちら
15歳にして「悪(にく)らしいほど強い武士!」となった鎌倉悪源太こと源義平の武勇伝(上)
15歳にして「悪(にく)らしいほど強い武士!」となった鎌倉悪源太こと源義平の武勇伝(中)
頼朝公の異母兄・源義平(みなもとの よしひら)は齢15で叔父・源義賢(よしかた)を倒した「大蔵合戦」での武勇から「鎌倉悪源太」と恐れられました。
父・源義朝(よしとも)が京都に赴任している間、義平は本拠地である鎌倉の留守を守っていましたが、貴族の藤原信頼(ふじわらの のぶより)らが引き起こした「平治の乱」の切り札として京都に呼び出され、大いに武勇を示したのですが……。
有頂天な藤原信頼を諫める
さて、平清盛らの不在に乗じて序盤戦に勝利し、気を良くした藤原信頼は、すでに天下をとったかのような有頂天。
調子に乗った藤原信頼は、お前にどこの国をやろう、そなたに何の褒美を、官位をやろう……とまぁ、権限もないのに皮算用の大盤振る舞い。
そして、義平の番が来ました。
「ほれ、そなたには何をやろうか?国か?カネか?それとも官位か?」
藤原信頼は訊ねますが、義平はしかめっ面で答えます。
「そんなもんいいから、さっさと敵にトドメを刺しましょうや。いま清盛どもが戻ってきたら、逆転されて水の泡ですぜ」
せっかくの浮かれ気分に水をさされて、藤原信頼はご機嫌を損ねます。
「まぁまぁ、そんなに慌てることもなかろうて。どんな官位もそなたの意のままに授けようぞ……」
この時、藤原信頼が見せたであろう「官位をやれば、武士などたやすく手なづけられる」という表情。
事実、多くの武士はそうでした。
坂東武者の矜持「~もとの悪源太にて候はん」
古来、武士の稼業は「名を上げ身を立て御家を守り……」と言われるように、戦はもとより、貴族たちの「地下人(じげにん)」として犬馬のごとく働いて、その褒美に官位をもらうのが、武士たちのステイタスでした。
官位があれば武士どうしでの睨みが効き、いわば「御主人様の気に入れば、『奴隷の中では』偉くなれる」という状態。
現に父・義朝も、京都の世渡りに染まりつつありましたが、年若く生粋の坂東武者である義平は違いました。
「虚名の官位なんて要らねぇよ!俺は東国の戦場で勝ち取った『鎌倉悪源太』の二つ名で十分でぃ!」
原文:たゞ義平は東国にて兵どもによび付られて候へば、もとの悪源太にて候はん
他人に与えられるどんな官位よりも、自分の実力で勝ち取った「鎌倉悪源太」の異名こそ、己の恃みうる真実であり、坂東武者としての矜持でした。
しかし、その精神も藤原信頼には理解されず、油断しまくって平清盛らに逆襲され、父・義朝ともども敗れ去ってしまうのでした。
3ページ目 雷神となって敵を蹴り殺す!タダでは死なない悪源太