世界平和を願った「西郷どん」その(現代の政治家に足りない?)政治思想が凝縮された「西郷南洲遺訓」とは

はじめに・『西郷南洲遺訓』とは

♪薩摩西郷さんは 世界の偉人……♪
※民謡「鹿児島おはら節」より。

幕末から明治にかけて大活躍した「維新三傑」の一人、ご存じ「西郷隆盛」

ご当地の薩摩は元より、日本各地で「西郷(せご)どん」と愛されている西郷ですが、彼が政治家として成し遂げた偉業の裏には、世界を見据えた広い視野と、日本の伝統文化を修めた深い見識に基づく政治思想が貫かれていました。

そのすべてを知ることは出来ませんが、明治三(1870)年に出羽大泉(旧 庄内)藩主の酒井忠篤(さかい ただずみ)が藩士70余名と共に西郷の元を訪ね、教えを請うた時の話が明治二十三(1890)年に『西郷南洲遺訓(さいごうなんしゅう いくん)』としてまとめられ、今日私たちが学べるようになっています。

酒井らがかつて(戊辰戦争で)敵同士だった薩摩の西郷を慕ったのは、降伏した自分たち(当時の庄内藩士)に対する丁重な態度と、藩閾の権力闘争にとらわれず、世界情勢をにらみ、日本の行く末を見据えた政治思想に感服したためと言われていますが、こうしたところにも西郷の人徳が偲ばれます。

3ページ目 「西郷どん」の予見した未来と、彼が遺した政治思想

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