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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第8話
■文政七年 夏と、秋(1)
幾条の花火が、江戸の紫紺の空を燦爛と綾取っては散り、散ってはまた綾取る。
銀朱、丹、藤黄、鬱金、それに雲母(きら)。
花火の色を浮世絵の色材に例えれば、そんなところだ。
どおんと音がするたびに、花火は隅田川の河川敷や両国橋に押しかけた多くの見物人の心に鮮烈な金紗の絵の具を幾度も幾度も塗りつけ、そのくせ散りぎわははらはらと、余りにも呆気なく人々を追い越してゆく。
だから儚い夏の夜の夢の中に置き去りにされた男女は、胸にぼんやり寂寥を抱えたまま途方に暮れてしまう。
「身勝手な野郎だな、花火てえ奴あ」
長屋に引きこもりの国芳は顔を上げ、四角い天窓からすこんと見える花火を見て言った。
誰も答えない。
同居人の佐吉は仲の良い狂歌連中と勇んで両国橋へ繰り出して行った。
国芳は一人、魚油臭い角行燈の下にうずくまって盛んに模写をしている。最近ようやく手に入れた医学書「西説医範提綱(せいせついはんていこう)」のうち亜欧堂田善の銅板解剖図の頁を広げ、人の身体の骨組みから学び直しているのである。小銭稼ぎの凧に描いた水滸伝の豪傑の絵や、過去に出した錦絵の源平の英雄の絵にいまいち迫力がなく動きが硬いのは、人間の肉体を理解しきっていないためだと国芳は己の絵を分析していた。線画だけであっと言わせる画力が、国芳には必要であった。
(そうでなけりゃアあの女を笑顔にする事アできねえ)
頭に浮かんだのは惚れた女の泣き顔である。
女が最後に国芳に見せた表情は泣き顔だった。
悲しみと怒りに咽(むせ)ぶ歪んだ表情が頭に焼き付いて少しも離れない。
「アアもう、ドンドンうるせえなあ」
天窓の外は花火の大盤振る舞いで大変な騒ぎである。本来なら国芳も祭りの日にこんな風に長屋にこもっているような玉ではないのだが、今年は出掛ける暇もなく絵を描いている。
(みつは、)
とふと女を思った。
(花火も、知らねえのかなあ・・・・・・。)
たんぽぽを初めて見た時の、あの驚いた顔が脳裏に浮かんだ。
打ち消すように視線を紙上に戻すと視線の先にぽたりと水鞠が落ちて、墨が灰色に滲んだ。
国芳は、いつのまにか泣いていた。
「何泣いてんだ、わっちゃア」
墨で汚れた袖口で涙を振り払ったものの、模写した絵が天窓から差し込む花火の光でちかちか照らされるほどに、涙が出て仕方がなかった。
「確かに、下手くそだな」
笑えるほどに、自分の絵には何もかもが足りない。
「なんでわっちゃアこねえに下手くそなんだろう」
国芳は泣いた。
泣きながら、模写を続ける手だけは止めなかった。
狭い空間に、くしゃくしゃに丸めて捨てた白い紙の残骸がいつのまにか雪のように降り注いだ。