和歌を贈るのは当時の恋のルール!百人一首に彩りを添える恋の歌
百人一首には数多くの恋の歌が選ばれています。百人一首に歌を採られた歌人たちの生きた時代は、恋愛と言えば和歌を贈るのがルールでしたから、当然でしょう。
契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり
(あれほど固くお約束してくださったあなたのヨモギの露のようなありがたいお言葉を、命の綱と頼みにしておりましたのに…その期待も虚しく、ああ、今年の秋も過ぎ去っていくようです)
藤原基俊の第75番目の歌も、一般的に男女の深い仲を表す「契りおきし」という言葉が使われていることから、約束を守ってくれなかった恋人を恨む歌のように見えますよね?
ところが、実はそうではなかったのです。
なんと!「裏口」が叶わなかった「親バカ」の歌!?
この歌は男女間で贈られた歌ではなく、作者の基俊が次の第76番目に歌を採られている法性寺入道前関白太政大臣に贈った歌です。
基俊には光覚(こうかく)という息子がいて、奈良の興福寺の僧侶をしていました。興福寺では10月10日から7日にわたり、「維摩経(ゆいまきょう)」を教える「維摩講(ゆいまこう)」が行われます。その講師に選ばれることは、僧侶にとってはまたとない名誉でした。
基俊は「『維摩講』の講師にぜひ息子の光覚を!」と法性寺入道にたびたび頼んでいましたが、光覚はなかなか選ばれません。そこで基俊が法性寺入道に恨み言を言うと、入道の答えは
「しめぢがはら」
これは古今和歌集の清水観音の歌
なほ頼め しめぢが原の さしも草 われ世の中に あらむ限りは
(私を信用しなさい。たとえあなたがしめじが原のヨモギのように思い悩んでいても)
から引用したものです。
しかし光覚はその年も、また講師には選ばれませんでした。そこで基俊が入道に贈った恨み言の歌が、この歌だったのです。現代なら
「息子の裏口入学や昇進をお願いしたのに、それが叶わなかった親」
のようですね。