前回、足利尊氏の生い立ちについて紹介しましたが、
室町時代を築いたレジェンド・足利尊氏の生涯に迫る!その1
近年、『信長のシェフ』や『忍たま乱太郎』など室町時代を扱った漫画が読まれ、中公新書の『観応の擾乱』がベストセラーになるなど、室町時代が注目されています。その室町時代を築いた立役者が、今回紹介する室町幕…
本項からは彼が迎えた人生の転機について紹介していきます。鎌倉幕府の御家人として主家の横暴に堪える日々に、果たして尊氏は終止符を打てるのでしょうか…?
後醍醐天皇との接触に成功!高氏は官軍の将となる
1333年、北条高時の命令で西国を転戦していた高氏のもとに、後醍醐天皇から朝廷に味方しないかと打診が来ました。高氏はそれを喜んで受け取るのですが、懸念がありました。北条高時ら幕府の指導者層は、高氏の妻である赤橋登子(とうし)と息子の義詮(よしあきら)を人質にしていたのです。
しかし、高氏は部下を派遣して妻子を救い出させる計画を練っており、4月29日に幕府から離反して後醍醐天皇に忠誠を誓います。そして、篠村八幡宮(京都府)で戦勝を祈願、挙兵して5月7日には京都の六波羅探題に攻め込み、官軍の勝利を決定付けました。
脱出した義詮も新田義貞(にった・よしさだ)の軍隊に合流して幕府の本拠である鎌倉を陥落させるのですが、払った犠牲は大きく、高氏の長男がその伯父と共に殺されたり、登子の実家が滅亡するなどの悲劇を伴っていました。
3ページ目 鎌倉幕府を倒し、英雄となった尊氏。しかし、朝廷の政治には無関心だった?