江戸時代の吉原遊廓の妓楼の中はどうなってたの?浮世絵や絵草紙で詳しく紹介!

小山 桜子

前回「江戸時代の見取り図や浮世絵で吉原遊廓をご案内」では、吉原遊廓の全体像をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

吉原はどんな場所だったの?江戸時代の見取り図や浮世絵で吉原遊廓をご案内

江戸時代の幕府公認遊廓、吉原。ひとくちに吉原といっても、江戸時代初期に日本橋にあった元吉原、1657年の明暦の大火後に浅草の裏手に移動してからの新吉原の2つあり、落語などに出てくる「吉原」はたいてい新…

今回は吉原に並ぶ妓楼(ぎろう)の中から、一つの女郎屋に焦点を当て、その内部を覗いてみましょう。

葛飾北斎「吉原遊廓の景」ボストン美術館蔵

入口

妓夫台

入り口の脇に妓夫台(ぎゆうだい)という台がありました。その台には牛太郎(ぎゅうたろう)と呼ばれる客引き係の男性が乗って、通りかかる男性客に対し「おあんない、おあんない(お上がりなさい、お上がりなさい)」などと声をかけて呼び込みます。

張り見世

妓夫台の横には、通りに面して張り見世と呼ばれる格子窓の部屋が張り出しています。吉原といえば、恐らく多くの人がこの張り見世を思い浮かべるでしょう。

張り見世に並ぶ女郎 Wikipedia|吉原遊郭

暮れ六つになると振袖新造と呼ばれる若い見習い女郎たちがこの張り見世に並び、三味線で「清掻(すががき)」を始めます。その音に合わせて若い衆が下駄箱の下足札をカラカラ打ち鳴らして、実に賑やかだったそう。振袖新造が鳴らす三味線の音が響く中、綺麗に支度を整えたお姉さん女郎たちが2階から降りてきて、ずらりと勢ぞろいすると見世開きというわけです。ちなみにその日予約が入っている女郎は張り見世に並びません。

2ページ目 悪事を働いた女郎は行燈部屋に閉じ込められ折檻

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