秋の京都で行なわれる時代祭は、葵祭・祇園祭と並ぶ京都三大祭のひとつです。多くの文豪が愛した平安神宮の大祭であり、平安時代から明治維新に至るまでの時代行列が都大路をパレードするさまは「動く歴史絵巻」とも言われてます。
しかしこの時代祭、他の2つと比べてさほど長い伝統を持ってるわけではありません。始まったのは、明治の中頃。東京遷都による寂れ様を何とかするべく、明治期の京都は様々な振興策を打ち出します。で、そのうちの一つが明治28年の『平安遷都1100年祭』。桓武天皇が平安京に入って1100年になることを祝うこの祭典の行事として、時代祭は始まりました。平安神宮の祭だからといって、平安時代からやってるわけではないのです。いや、平安神宮も明治28年の創建ではありますが。
ちなみにこの第1回のラインナップは、平安時代が「延暦文官参朝列」「延暦武官出陣列」「藤原文官参朝列」、鎌倉時代が「城南流鏑馬列」、安土桃山時代が「織田公上洛列」、江戸時代が「徳川城使上洛列」といったところ。
奇異に思えるかも知れませんが、「徳川城使上洛列」に家康は、出ません。城使ですから。「織田公上洛列」で信長や秀吉は出るんですけどね。また「城南流鏑馬列」に頼朝や北条政子などは、出ません。室町時代に至っては、時代そのものが見当たりません。奇異を通り越してちょっと不自然でさえありますが、この並びには理由はあります。
家康は、政権を東へ持っていったから、出してやらない。頼朝も、政権を東へ持っていったから、出してやらない。室町幕府の足利将軍は、天皇に刃を向けた「逆賊」だから、時代ごと削除。天皇の絶対化が進んでいた明治の世相と、天皇を東京へ持っていかれた京都の憤怒が、妙な形で利害一致して、強引なまでに朝廷&京都中心のスターティングメンバーが第1回の時代祭には揃いました。
「城南流鏑馬列って、お前ら一体誰やねん」と突っ込まれそうなこの明治のスタメン、実は現在もほぼそのままの形で残ってます。家康は今だ登場が許されず、鎌倉幕府関係者も出入り禁止。時代ごと無視された室町時代は、金閣寺&銀閣寺という2大ドル箱観光資産を残した業績が評価されたのか、2007年にやっと行列参加が認められました。時代祭開始から、実に100年以上経ってのことです。
きらびやかな装束を見てるだけでも楽しい時代祭ですが、よくよく見ると「誰?」「何故?」みたいなことが結構あって、面白かったりします。そしてその面白さの向こうに、明治の京都の焦燥や歯軋りのようなものが感じられて、これまた面白かったりします。
平安神宮 – 公式サイト
時代祭 – 平安神宮
時代祭 – Wikipedia